【財布をなくしてラッキー】なくした後の行動で人生が変わる。そんな話。

一輪の植物に癒される

みなさんこんにちは。ホーリンです。先日ホーリンは、長財布をなくしてしまいました。おそらく落としたんだと思います。

最後に覚えているのが、家の隣のファミマで買い物をしたときに使いました。

次の日の朝に気づいて家じゅう探し、ファミマの店員にも聞いてそれでも見つかりませんでした。

普通の人だと、【大惨事・事件】として、家族な近しい人などに相談してしばらくはその事で辛い時間を過ごすと思います。

 

ホーリンももちろんそうなのですが、最近はあきらめの境地というか、むしろ【幸福】だなと感じるようになっております。

 

そんな感じの内容のブログを書いてみます。

ホーリンの遺失物の歴史

ホーリンは小さいころから、物忘れ・忘れ物がひどく、部屋も汚く注意力散漫でした。

小学2年生の時におばあちゃんが、1年に3回も4回も財布をなくすホーリンに、ベルトやジーンズに財布とくくりつけるキーチェーンみたいなのを買ってもらってとても喜んでいたのをよく覚えています。(結局そのキーチェーンすらもすぐになくしてしまうのですが・・)

 

毎日靴下がない、財布がない、筆箱がない。どこにあるの?と親に聞いて育ったホーリンは自他ともに認める忘れ物男でした。

大学生・社会人になってもそれは治らず、しょっちゅう財布・携帯・家鍵、なくしては警察交番に行き、再発行やら手続きの常連でした。

 

1週間に2回電車に乗る時に使うパスモを手に握りしめたまま電車内で無くしたこともありました。

イタリアの旅行に行くのに、電車チケットよ予約してそのチケットを日本出国前の空港に向かう電車券売機で持っているか再確認するため一度出して、その場に置き忘れて現地イタリアで困り果てたり。。

 

最近だと、おつりのもらい忘れ2回、財布を落として、自分が通った道を歩いて戻っているうちに落ちているのを発見して。

 

それから、旅行先で、バイクを借りるときにバイクレンタル屋さんに預けたのを忘れてパスポート紛失と大騒ぎして。

 

【ADHD】の可能性?

ホーリンはそんな性格から、自分が発達障害なのではないか。と強く疑っております。軽い気持ちでADHDだと知人などに言うと、そんなことないよと言ってもらいますが、ADHD系ユーチューバーの人の動画で特徴などを説明されるとドンピシャすぎているんです。

 

まぁそれが承認されたところで、自分の脳の作りは変えられないし、それが言い訳になるようだったら仕事でも苦労していないし、仕事断られたら苦労するのは自分自身なので結局自分自身対応策を勉強するしかないのかなと考えています。

ADHD系ユーチューバー のおすすめ

ADHDチャンネル

 

【不幸→幸福】の逆転の発想。

ホーリンはものをなくして落ち込んだ時よく外国人の友達に励まされるときにこの言葉を言われます。

It could have been worse.

意味は、これ以上に悪い事が起こっていたかもよ。(実際はそうじゃなかったからドンマイ)

つまり、もっと悪い出来事を想像して、それよりはマシだよ。

 

という概念です。とても素晴らしい考えで、もう起こってしまった事実は変えられない、だけど、自分の考え方は変えられる。

そういうコンセプトなので、ホーリンにこの法則を当てはめると、

「うわー、財布なくしちゃった、現金5000円くらいいと、銀行カードと、保険証と彼女との思い出の写真となくしちゃった」

「でも、現金はまた働けばお金は戻ってくる、銀行カードも保険証も再発行すればいい、それよりもスキミングや口座内のお金降ろされて大変なことになっていなくてよかった、パスポートも入れてなくてよかったー。そして彼女との思い出の写真はとっても大切だったけど、実際に彼女がいるという事のほうが大切だし、このことを彼女に報告して、きっと彼女は思い出のものをなくされて怒るし、注意散漫なホーリンに情けないとか負の感情起こるかもしれないけど、ホーリンがかのじょとの写真を大切に財布に入れていたという事は評価されるかもしれないし、思い出の写真はデータがあるからまた取ればいい。いやー、口座の金スキミングされたら、被害額60万円超えていたし、彼女との愛も深まったし、何より何気ない日常のありがたみがわかって、結果的には良い投資になったなぁ。落としてくれた過去の自分ありがとう。」

 

こういう、発想の転換ができたら、辛い事も軽減できる。そして、自分の機嫌を自分自身で取れるようになる。そうすると、自分の感情をもっと簡単にコントロールできるようになり、きっと今後の人生より生きやすくなるのではないか。そんな予感がして、昔だったら凹んでしばらく立ち直れなかった心とうまく付き合えて、なおかつ自分自身の成長を実感できると思います。

 

これからも物の捉え方を勉強して、うまく自分の心と付き合っていこうと思います。

 

それでは今日はこのへんで


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11月30日まで残り目標記事【17記事

【先生と学生】を同時にやって得られた【教育論】

こんにちは。ホーリンです。怠け者のホーリンがブログを続けられる理由。それは、この世界に誰かホーリンのブログを読んでくれる人がいる、統計を確認して、勝手に嬉しくなり、だれも褒めてくれていなくても自然と書きたくなる。そんな欲求が、ブログを書く原動力となっております。

 

後、ホーリンが出会ったYOUTUBERがとてもカリスマ性があり、その方のアドバイスに従って、影響されて、それが大きい理由です。これからもブログを継続していきたいと思います。

 

本日のテーマは【教える事。習う事】です。

 

ホーリンは、今は【日本語を教えて】、【タイ語を習って】います。

どちらも難しく、どちらも楽しいです。

 

どの言語に限らず、自分の母語以外の言語って話すとき、とても不安ですね。(初級中級者の時)

 

話す人の脳内では、発音は通じるだろうか。文法語彙はそれでいいのか。失敗したくない。

 

聞く人の脳内では、何を言っているのだろうか、わかって上げられるだろうか。外国人が自分の言語を話してくれてうれしいありがとう。

 

話す人にとって、聞く人には、基本的に悪い印象を与えないし、心配不安って、自分の問題で、相手は実は問題じゃない。

 

そう気づかされます。

 

【日本語を教える立場で学習者に思う事】

ホーリンは生まれて初めて言葉を教えるとき、学習者は何で簡単なことがわからないのだろう。どうして発音できないんだろう。どうして同じミスを繰り返すのだろう。自分ならできるのに。

 

という完全に自分本意で、自己中心的な考えを持っていました。なかなか最低ですね。

 

学習者は何年も勉強して読み書き話し聞く、すべての技能を伸ばしてきました。言語というのは、母語話者にとって、難しさもわからないものです。

文法を教えるときに、ホーリンはルールを説明して、反復練習すればいいやとだけ思っていましたが、教えれば教えるほど、そのプロセスの複雑さ、難しさ、を体感して、この教え方じゃ学習者に伝わりにくい。などどんどん気づくようになり、沼に足を踏み入れるようにどんどん悩みも増えてきました。

 

そんな悩みのストレスの多い時、学習者が笑顔で【ありがとう】と言ってくれたり、学習者がわかった!と嬉しそうにしている表情を見ると本当に自分の事以上に嬉しくなります。

教えた学習者が、だんだん自分の言っていることを理解して、つたなくても頑張って日本語で受け答えしようとしている姿を見ると毎回感動します。

物語を読むなど長文は苦手な人が多く、すごく時間はかかるのですが、最後まで1つの物語を読んで、読み終わってホッとした表情を見ていると、なんだか【甲子園の決勝戦】を見て、勝手に感動して涙が流れてくる。

そんな感情に自動的になります。

ホーリンは学生時代、好きなこと以外全く勉強せずに、勉強の意味を考え、嫌なことから逃げて生きてきた経験があるので、今こうして苦手な文法や発音を克服するために必死に勉強したり、テストをして、学習者が文字を書いているのを採点しながら、「あー、この学習者は勉強を頑張ったんだなぁ」と想像を膨らませて、自堕落なホーリンは自分自身に克を入れてもらっています。

 

【タイ語を習う立場で、学習者に思う事】

ホーリンはタイ語を週末だけ勉強して、半年程になります。

今までは時間活用術が全然できていなかったので、仕事を言い訳に全く予習復習をせずに、授業に臨んできたので、毎回語彙の意味を忘れたり文法をすぐ忘れてしまったり、自分自身納得の行く勉強はしてきませんでした。ですが、去年会話のクラスでできたタイ語学習者の仲間に【タイ語検定1級目指して頑張ろう】とはっぱをかけられ、時々過去問を解いたりするのですが、半年前に比べて、問題が解けるようになっているのを実感しています。

毎回毎回自分自身に後悔自責の念ばかりでしたが、この反復授業もそんなにすてたもんじゃないなと、少しポジティブになりつつあります。

 

教える立場として、タイ語の先生を見ていると、先生の反応表情、態度などで、やる気、準備、情熱が伝わり、わかります。

 

教え方が上手い、下手というのもいろいろな先生から学ぶことでわかってきました。話すスピード、声の大きさ、ペース、あとは表情で、カリキュラムはありますが、学習者と一緒に進んでいくもの。学習者をおいてけぼりにしてはいけない。とか、だらだらと進めていくと学習者のやる気もそがれる。など授業というのは生き物で、人間同士が作り出す創作空間だなと思います。もちろん金銭の授受や、上下関係などはあるけど、時々、先生も含めてリーダーは学生だなというように感じることはあります。

 

人間観察をしていても非常に面白いです。仕切りたがり、引っ込み思案、目立ちたがり、頑固、恥ずかしがりや。人間のいろいろな一面が見られます。

結果、払った以上の対価を得られる。とても有意義な時間空間だなと実感しています。

 

【教育について】

ホーリンは教育について、よくわからないし教えながらその答えや解法を探している途中だと思います。

教える・学ぶことで、学ぶ内容と、付加価値として、ルールを守る、対人関係の構築・処世術の体得。自尊心や顕示欲。人としての成長。様々なものを得られる気がします。

 

一言でまとめるのは難しいと思いますが、【教育】とは一言でいうと、【人間力を高める空間】だと思います。たとえ勉強ができなくても、人との関係をきちんと学べば社会では生きていける。勉強を頑張ったらその努力が認められて仕事でもプライベートでも成功する可能性が高くなる。

 

そして、親という存在から学ぶという意味も含めるとほぼ全人類が携わるのが【教育】だと思います。

 

ホーリンの現状では教育を定義づけるのはおこがましいし、一体全体何なのかわかっていないですが、教えて習うことを通して、今後も新たな発見があったら、情報共有していきたいと思います。

 

それでは今日はこのへんで


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11月30日まで残り目標記事【18記事】

1か月【見栄とプライド】を捨てて生活して気づいた【8つ】の事。

こんにちは、ホーリンです。11月のブログの目標は【反省・懺悔】でしたが、最近全然そういった心を内省するようなブログが書けていないし、そういった感情もどこかへいってしまいつつあります。

 

人間の心には感情の波があり、人により津波のような大きい波、仏の心を持った穏やかな波。いろいろだと思います。

 

大きい波があるうちは、冷静になれない、ストレスに集中してしまい、感情をコントロールすることが難しいと思います。

また、仕事、家族、人間関係などなく落ち着いている時は心の声に耳を傾けて、より安定させることができると思います。

 

ホーリンはだいたい津波が来て、落ち着いたと思ったらまた大きい波が押し寄せてという繰り返しのような気がします。

 

今の時間は比較的安定しているので、心の内省をしていきたい。そういうブログを中心に書いておきたいと思います。

 

本日は、【見栄とプライド】についてです。

まず始めに、このブログは思った事をそのまま書いているブログなので、意見が重複したり、数日前書いたことがまるでデジャブーかのように書かれることがあると思います。

 

似たような事が書いてあっても、書く日によって若干物事の捉え方が違ったり、新たな気付きをまとめるなどの意味もあったりすると思うので、「昨日と同じ事かいてんじゃねー」などと思っても適当に受け流してあげてください。

 

で、本日のテーマの【見栄とプライド】です。

ホーリンはプライドは低いと思っていましたが、それは大きな違いで、小さいころからコンプレックスがあり、そのプライドを保つために様々な巷に溢れる努力を続けてきました。

その努力をもっと自分の能力を生かす事に時間を費やせればいいのですが、そのプロセスも含めて人生なので、よしとしておきましょう。

 

プライドが高い人は、【他者評価】を気にします。いえ、違います。気にしすぎます。

 

人間が狩猟民族→農耕民族になってから共同生活が始まり、一緒に暮らす文化ができてから、価値基準が自分軸でなく全体軸とでもいうのでしょうか。自分がどうかより、自分がどう見られ思われるか。に重きが置かれ、【自己犠牲】だの【同調圧力】だのより窮屈な生き方を求めらるようになってきました。

 

ホーリンは例にもれず、その【他者評価】を気にしすぎる傾向があり、自分がどうであるより自分がどうみられるか。を大切に生きてきました。

 

そして、人前で泣くのは恥ずかしい。仕事ができないと思われたくない。

すごいと思われたい。など、自分がどうしたいという欲求をむげに生きてきました。

 

思い返すと本当に辛かったと思います。しんどいなぁ。と思い、もうそういう生き方はやめようと考えています。

 

そのためのするべきことは、プログラミング化された「どう見られるか」という第一ステップをなくすことです。

 

それは、よし、わかった、変えよう。ですぐ変えられるものではありません。

それこそ、30年その生き方をしてきたら、30年かかるのかもしれません。

 

一日では会得できるものではないかもしれないけど、毎日継続していけばきっとよくなる。

 

そう信じて最近は生きようと思っています。

 

先月くらいから、そういった心をもって、生きるようになって、自分の生活に変化が起きました。少しまとめてみます。

 

①他人の意見をあまり気にしなくなり、のびのびと仕事できるようになった。

②共同作業のある仕事で、自分の資料が例え、満足のいく内容のものでなくても、堂々とできるようになった。

③仕事中心で物事を考えて、締め切りに追われる毎日だったけど、遊ぶときは遊ぶ。締め切りを逆算して、計画的に行動できるようになった。

④人に謝ってみた。(恥ずかしさを捨てられた)

⑤人目を気にして挑戦できなかったことに挑戦してみようとポジティブになれた。

⑥今まで気づかなかった人の優しさ、物事の仕組みなどを感じたり見えるようになってきた(客観的・俯瞰的に見つめる)

⑦彼女に感謝の言葉を言ってみて、思った以上に彼女が喜んでもらえて、彼女の対応が変わり、より生活が良くなった。

⑧笑顔の大切さに気付いた。

 

多分探せば後30個くらい出てくるのかもしれませんが、だんだん別の事とか考え始めたのでこのくらいでやめておこうと思います。

 

①他人の意見をあまり気にしなくなり、のびのびと仕事できるようになった。

今まで、ミスを指摘されるのが怖い、仕事さぼっていると思われたくない、褒められたい。その一心で仕事をしてきましたが、【新人で無能】ということを自覚し、できないことを当たり前と思い、わからないことをわかりません。教えてくださいと言うことで、仕事が円滑に進むようになり、実際、仕事の量を減らして、「時間を効率的に使えるようになった」というよりも、他人にどう思われるか気にしていた時間が減って、その代わり自分の趣味などに時間を裂けるようになったのかなと考えています。

②共同作業のある仕事で、自分の資料が例え、満足のいく内容のものでなくても、堂々とできるようになった。

今までは毎回プレゼン会議の前の日は徹夜でなくても、それに近いくらい頑張りすぎて、ミスを指摘されたりより良くするアドバイスのたびに落ち込み、その人は僕の事を嫌いなのか?とか、なぜここまで言われるのかとか、自分はどうしてこうも無能なのか。など落ちに落ちて、毎週会議の日が【心の谷】のようになっていました。ですが、ミスが当たり前という心で他人の目を気にしないという考えで会議に臨むと、人からのアドバイスを心から素直に聞けて、その指摘に対して、心から嬉しく思い、仕事を通してより幸福な感情を持てるようになってきました。去年からの自分の成長やら、成長を実感できて、少し自己肯定感が上がったような気がします。

③仕事中心で物事を考えて、締め切りに追われる毎日だったけど、遊ぶときは遊ぶ。締め切りを逆算して、計画的に行動できるようになった。

仕事中心というよりも、他人評価中心という人生を送っていたのだなと再確認し、1つの仕事に10時間かけるのを5時間に減らして、その分効率的に作業をし、そこで生まれた時間を趣味の時間に費やすことで、心のリフレッシュをおこない、また、その心の余裕が、仕事プライベート生活の活力になっていく好循環を作り出し始めたような気がしています。

 

④人に謝ってみた。(恥ずかしさを捨てられた)

ブログを通してだったり、面と向かってだったりですが、いろいろな方法で謝って、自分の非を認めて、反省することで、【心の鎧足枷】が外れて気が楽になった。(心のデトックス・ダイエット、しかもそんなに辛さを伴わない)

⑤人目を気にして挑戦できなかったことに挑戦してみようとポジティブになれた。

今まで人目を気にしてできていなかった事に挑戦しようと思っています。

挑戦の前に日本人の考えによくあるのですが、【下手な演技・作品を見られるのが恥ずかしい】こういう考えが自分にもあり、引っ込み思案であった考えに、【失敗してもいいから、一度試してみよう、ダメだったらその時はその時、その時また考えよう】というスタンスを持てるようになりました。具体的にはこのブログであったり、【Youtube】【タイ語】【ジャグリング】この3本を軸に趣味・生活の幅を広げていこうと考えています。本当に例えばYoutubeでも、今まで自分の撮った動画は、手振れしているだの、カメラのスペックが低いだの、編集の仕方知らないだの、いろいろ【できない理由】をつけて挑戦から逃げて生きてきました。そんな自分すら受け入れて、否定せずにそんな自分もこれからの人生に必要な過程だったと信じるようにします。

⑥今まで気づかなかった人の優しさ、物事の仕組みなどを感じたり見えるようになってきた(客観的・俯瞰的に見つめる)

ホーリンは今まで、相当テンションが高い時以外は道を歩くときなど仏頂面で、どちらかというと警戒心のあるむすっとした顔をして普段生活してきましたが、【心穏やかに】を目標に生きていると、自然に笑顔が生まれて、そういう状態で、道を歩いていると人の笑顔に気づき、そういう人が向こうから挨拶してきてくれたり、無言の意思疎通で、お互いに幸福になれる。そんな感情を勝手にいだきながら生きています。自分や感情・考え方を狭い視野でなく、少し広い、大きい視野でとらえられる。そんなイメージです。

⑦彼女に感謝の言葉を言ってみて、思った以上に彼女が喜んでもらえて、彼女の対応が変わり、より生活が良くなった。

今まで、喧嘩して自分が悪くないと思ったら、絶対に自分から謝らないなど、ちっぽけなプライドを必死に保っていましたが、一言先に「ごめんね」という事で、相手が悪かろうが悪くなかろうが、状況が改善され、頭でっかちで、偏見まみれのホーリンの石頭をかちわり、恋人からも見直したという評価をもらい、お互いの満足度があがるという相乗効果を感じています。

⑧笑顔の大切さに気付いた。

ホーリンは【プライドと見栄】を捨てるよう努力することによって、笑顔が生まれ、その笑顔というのは人生を本当によりよいものに変えてくれるスパイスのような存在なんだなと気づいて、口角を上げて、普段の生活でも【笑顔】であることを忘れないで、心の満足度を保てるように生きていこうと思います。

 

長々となりましたが、読んでくれた方はありがとうございました。

それでは今日はこのへんで


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