7年前に家出したホストファミリーのお家に謝りに行くの巻【前編】

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こんにちは。ホーリンです。写真は先日訪れたヨセミテ国立公園のやつです

 

今日は、自転車旅行中に、一番やらなければいけないこと、やりたかったこと、やりたくなかったことの話です。

 

それは、7年前の2008年にアメリカで家出したホストファミリーの家に謝りにいくことです。

 

話はさかのぼること2008年。当時21歳だった若かったホーリンは、アメリカに留学します。

 

ホーリンにとってはじめての他人との共同生活、ホームステイ、日本語以外の生活。

 

最初はとても楽しかったです。

 

家族は、メキシコ系のファミリーで母アリシア、娘ビビー、孫クリスと、謎の同居人マニュエルでした。母アリシアは旦那さんはどうやらいないようでした。

ビビーは彼氏が時々遊びにきていました。

 

その家は、娘ビビーが2人目の子供を妊娠中と子育て、母アリシアは朝から夕方、夕方から深夜まで、本当に一日11時間くらい働いて、

本当に大変そうでした。

そんな環境で、母アリシアは自分の仕事以外に、ホスト生徒2人を学校送迎、夕方夜ご飯を作って、毎日休まず働いていました。

ホーリンは、初めての海外で右も左もわからないアジア人の僕に対してわかるまで何度でもゆっくりと説明してくれて、優しい笑顔でいつも気遣ってくれて仕事が忙しく大変でもいつもいろいろな話をしてくれるアリシアは大好きでした。休みの日などは義務ではないのに、ロサンゼルスのビバリーヒルズの親戚の家や、ビーチ、アジア食品が売っている巨大なスーパーなどに連れて行ってくれて、今思うとホスピタリティーあふれる素敵な人だったと思います。

 

アメリカ生活が始まって最初の2ヶ月は学校も、初めての海外生活も新鮮で、毎日が楽しい毎日を過ごしました。

そして、しばらくしてホーリンは家では基本英語でみんな会話していましたが、その頃英語もよくわからず、スペイン語もわからず、初めての他人との生活で少し疲れてきました。

 

ホーリンは、そんなある日家出をします。

 

その日は、ホーリンと別の生徒の台湾人が寝坊をします。普段はアリシアは遅刻する前に起こしてくれていたのですが、その日はなぜか二人を起こさずに

仕事に行ってしまいます。

 

ホーリンは、その当時自分が寝坊したくせに、起こさなかったアリシアが悪い、ホストの責任を果たしていないと、怒り心頭です。

 

それが、きっかけで、ホーリンは家出を思いつき、家出を決行します。

 

当時、あだ名が無鉄砲であったホーリンは決めたら即計画実行型だったため、ルームメイトの台湾人に明日早朝、家出するから後はよろしく!

と、説明して荷造りをして友達の家に友達の許可もない状態で勝手に引越ししました。

 

その家での日は、アリシアは朝起きて変な日本人が荷物もすべて何もない状態でいなくなっていたことにきっとびっくりしていたことと思います。

 

学校のカウンセラー的なところに、来てホーリンと面会を求めたそうですが、当時無鉄砲だったホーリンは話をする気‘もないと、ダダをこねて

結局その日付でホームステイ契約を打ち切りました。

 

 

今思いかえすと本当に恥ずかしい話ですが、当時の調子にのっていたホーリンはそんな生活をしていました。

 

少しは罪悪感をもってその後のアメリカ生活を堪能していましたが、結局帰国するまで謝ることなくアメリカ生活を終えました。

 

 

そして、日本に帰国してから、時々その優しかった働き者のお母さんアリシアを思い出してはいつか謝りに行きたいと思うようになっていました。

 

 

続きはまた明日!

 

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まさかのロードバイクで砂利道を30キロくらい走る過酷な一日の巻

こんにちは。ホーリンです。

 

今日は、この自転車旅行で一番きついルートを何とかこなして、充実感と、達成感いっぱいの午後を送っています。

っていうか、グーグルマップって、自転車ルートでコンクリートでない道示すんですね笑

 

今日は山道でなかなかきついのは覚悟していたけど、まさかのダートロード(砂利道)...

 

そして、半永久的に続く山道。

 

まず、辛かったポイントとして、砂利道の運転しづらさっていうのもあります。砂利道は、ロードバイクだと、

コントロールできなくって、もうその場合は手で押すしか方法がなくなります。ところどころ、堅い地面の場所はこぐことができましたが、半分くらいは手で押して歩きました。

 

そして、最近の気候が、連日90度を超えていました。Cでいうと、30度になります。やばい。

 

ということで、スマートな作戦で早起きして早く出発する作戦だったのですが、朝5時に起きてなんやかんや準備して6時に出発しましたが、7時半くらいにはもう暑くなり始めてきました。

これはやばいということですが、もう一生懸命前に進むしか方法がなかったので、頑張って進みました。

これが本日の気温でした。

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そして、なめていた砂漠気候。

ぶっちゃけ、涼しくて時々寒かったオレゴンとワシントン州を超えてカリフォルニアに入ってから毎日暑かったです。

ですが、オレゴンとワシントンに比べて町が多く、少しこげばすぐ次の町に着くので、ぶっちゃけ水をあんまり準備せずに

1Lくらいしか普段は用意していませんでした。

 

 

しかし、今日はきつい山道なのが予想できていたので、今回は多めに水2.5L用意していきました。

ですが、実際は全く水が足りずに、前半で水8割くらい飲んでしまい、最後水がなくて、目的地の町まで20キロのところで、水ほぼなくなって、最悪、民家にノックして、お水分けてもらうことも考えるくらいやばい状況に陥りました。

 

お水って本当に大事だなと思いました。

 

そして、今回一番きつかった理由。

 

砂利道だったため、車が全く通りません。

 

正直4時間で1台もすれ違いませんでした。

 

ということは、一日1台も通らない可能性もありました。

 

もし、自転車がトラブルでこげなくなった場合、最悪自転車捨てて、歩いて町まで行けばよいと考えましたが、

もし自分が足を怪我などして動けなくなったらヒッチハイクもできない状態です。(人が通る気配は4時間でありませんでした)

 

なので、今回はただでさえ、自転車の坂道はしんどいのに、砂利道で、助けも求められない最悪の状況だったので、そして灼熱の暑さだったことが原因だと思います。

 

そのきついルートを終え、民家がぽつぽつ見え始めた時は、正直助かった!と思い、

始めて道路が砂利道からコンクリートに変わったときは、生まれて始めてコンクリートのありがたみを真剣に感じました。

 

 

そして、水がなくて脱水症状気味で、こいでいるときにフルーツ屋さんが見えて駆け込んで、桃やベリーやお水を買ったときは、カラダが全身白くぱさぱさ状態になっていました。たぶん汗が固まって結晶になっていたのだと思いますが。

 

今回はアメリカの自然に完全にやられて、きつい一日となりました。

 

人間少しでも死を覚悟すると、他のことも耐えられるようになるんだなーって感じました。

 

それでは、今日はこのへんで。自転車旅行も終盤、最後まで頑張りたいです!

 

お休みしてたから今日からブログ復活!

 


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