【ズルさはエンタメ】今後ズルさから逃げずに生きていくための生きるすべを考える。

こんにちは、ホーリンです。ホーリンの本日のテーマは【ずるさ】です。

みなさんは【ずるさ】【ずるい】と聞いてどう思いますか?ホーリンは昔から今まで【羨ましい・不公平を許せない・当事者事象を攻撃したい】

様々な感情が生まれます。性格が悪い人の典型のような反応ですね。

 

ホーリンにはずるい事を聞いたり見たりすると、こういったネガティブな感情になり、だいたいの場合は、思うことだけにとどまり、言葉にしたり、行動に移したりということは少ないですが、過去にはそういった事もしてきました。

【ずるさはエンタメ】

ずるい人を攻撃するのは、相手に非があるから、やりすぎない限りは許されるし、自分の承認欲求を満たせるし【最高のエンタメ】だと思います。身近でもニュースなどでも。。。

 

だってこの世のほとんどのものごとはメリット・デメリットがありますが、ずるさへの攻撃にはデメリットがほとんどありません。

悪口を言っても悪いのは相手と自分の非がそこまで問題にならない。自分はいい事をしているという気分になれる。

 

人の娯楽としてはなかなか優秀だと思います。この甘い蜜を吸い続けると短気であったり、もっと攻撃的になってしまうような気がします。

 

【ずるさ】の経歴

 

ホーリンは、今までずるく生きてきました。嘘を言ってその場しのぎしたり、悪い事をしてもすり抜けるやり方を見つけて逃げてきました。

小さいころだと、5歳くらいの頃から記憶があります。

 

当時ホーリンは親とボーリング場か映画館に行き、そこにあったゲームセンターで200円をもらいゲームをしていいよと言われ親はトイレだったか、何か用事をしに行っていました。

ホーリンはお金を一度ゲーム台の上に置いて別のゲームを見に行っている間に小学生の団体がホーリンのお金を見つけて取っていきました。

ホーリンはお金を取られたというと怒られると思い、親にはもうゲームをしたと、言い親に怒られないように嘘をつきました。

 

それからも、お小遣いをもらい文房具を買いに文房具屋に行こうとしたけど、到着したらもらったはずの100円?がなくなり欲しかった消しゴムが買えず、泣くことよりも、悔しくて、親にはかつあげにあったと言い、もう一度お金をもらいました。

 

ホーリンは嘘をつくことで世の中が自分中心に回ると、勘違いしたのかもしれません。

 

少し大きくなって、学生時代はまだ携帯や監視カメラなど証拠も残らないから、気が弱い友達に命令したり、いじめるような発言行動をしたり。

先生に報告されて先生からその事実を聞かれてもやってない、言ってないと嘘をついて、卑怯な行動をしてきました。

 

社会人になってもこの性格は直らずにメリット・デメリットを考え、嘘つけるところは嘘をついてミスをごまかしたり、言い訳をしてきました。

 

税金・年金の件でも、役所の人の話が納得いかないと、ホーリンは悪くないという言い訳で口論になったり、社会人としても認められるような言動をしてきませんでした。

 

今思い出しても本当に恥ずかしいです。きっと区役所の年金課などにブラックリスト・要注意人物になってしまっていると思います。

 

【2021年の皇室問題について】

ホーリンはこの報道があった時、ずっとスケープボート(例えば悪いことから目を背けるために犯人に仕立て上げられること(不景気やらコロナのうっぷんを晴らす目的)にされていたのかなとか、許せない・ずるい人を攻撃することで、普段のストレスを発散するターゲットになっていたのかな。と考えています。

 

肯定する人は叩き、否定する人は仲間意識で盛り上がる。

 

だんだん盛り上がってきて、髪型・姿勢・発言まですべて叩かれるようになってしまいました。

 

ホーリンには二面性というか【寛容】と【ゆるせない】という心と2つの感情がいったり来たりしました。

 

ホーリンはこの問題を偉そうに文句を言えるほど、正直に生きてきたのか。

確かに攻撃している人のコメントなどを読むと同じ気持ちなんだと共感できて気持ちがよくなります。

情報操作ではないのか?法律上問題ないのか?などと思います。

 

この問題を肯定したら逆はり・良い人と思われたいという承認欲求などと批判されるのもすごく分かります。

否定したら、少なくとも攻撃しすぎない限り友人家族知り合いとのコミュニケーションは円滑に進められると思います。

 

寛容な心を持つという点においては、そもそも20歳以上は家族であっても責任を負う義務はないのと、親は親・子は子という考えは受け入れられないのか。という感覚になります。

 

中立的な立場で言うと、10年かけても20年かけても借りたものは返す。そして感謝の心は忘れない。

 

それだけで十分な気がします。

 

メディアや世論は発言しろ・許すなと言いますが、信ぴょう性はあるのか、発言は皇室関係者は簡単にしていいのか。

やりたくてもできないということもあるかと思います。

 

ホーリンのこの考えはずるい人生を歩んできたからかもしれませんが、許してあげようとか、当事者の立場に立って物事を考えるようにしています。

 

ホーリンは人に文句を言えるほど立派なのか。自分に自信があるのかというと、ホーリンはおこがましいな・謙虚さを忘れないようにしようと思います。

 

【ずるさ】と向き合って今後どのように生きていくか

 

性格というのは変えるのは難しい。でも変えられないわけではない。変えるためにすべきことは、謙虚に、自分の心に相談しながら、物事言動を考える。ズルい事をしたいという欲求が生まれたら、一度正直に過去を振り返って変わりたいという気持ちを思い出して、怖いけど一歩を踏みだす勇気を出してみる。

 

正直ホーリンの性格は、社会不適合者であり、結婚や他社との共生はあまり向いていないような気がしますがこういった発言をすることで自尊心を保とうという保守的行為になるので、いやいや、自分は変われる。弱さをさらけ出して、周りに許してもらいながら、少しずつ頑張ろう。

 

そう思います。

それでは今日はこのへんで

 

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20年ぶりのごめんなさい。

こんにちは。ホーリンです。今月のブログは自分を小さく見せる。恥、自虐、反省などがメインのブログになると思います。自分がどう見られるか、どう思われるか、気になる事もあるけど、なるべくバイアスをかけずに思った事を描いてみたいと思います。

 

今日は、ホーリンの学生の頃の話をしようと思います。学生と言っても小、中、高、大とあるけど今回は中高くらいの話かな。

 

ホーリンは、学生の頃も今と変わらない性格で、調子に乗り、図々しく、偉そうで生意気で、いい加減な性格でした。そこは今と変わらないと思います。

 

友達は多くて、男女問わず、色々な友達が居たと思います。仲良くなるのはクラスメートであり、趣味やスポーツが合う人、だったかな。

 

今連絡が取れる友達で一番古い友達は小学校の塾が一緒だった友達かな。

 

中学高校は、中高一貫で6年間同じメンバーだったけど、中学って多感な時期で、気に入らない友達がいたら喧嘩をしたり、距離をとったり、そして、素直でなく反抗期だからか、一言謝って、また仲良くしたいと言えばいいのに、プライドが許せなくて、あっちが謝るまでこちらからなにも言うことが無いとか、格好つけて、すごく損でしかない行動をよく取っていた。

 

すごく仲良くて、毎日話して笑って自他共に認める仲良しだったのに、急に喧嘩?して、原因もくだらないこと。言葉のあやだったり、人気者への嫉妬だったり。

 

今考えるとだいたい僕が悪くて、当時は周りのみんなが色々カバーしてくれたり、うまく配慮してくれて人間関係が成り立っていたんだなぁ。みんなの優しさの元で 生活できていたんだなぁって、しみじみと思います。

 

実はこういう考えも、この20年くらい考える事も無くて、なぜこういう考えを持つようになったのかというと、タイの中学高校生の先生をしていて、クラスによって雰囲気って全然違って、そんなに人数多くないんだけど、なんだかギスギスしているクラス、兄弟親友のように毎日楽しそうで明るいクラス、静かだけど協調性あるクラス、それぞれクラスには顔があって、面白いなぁと思いながら人間観察をしていると、あるクラスはなんだかいつも空気が悪い。

 

聞くところによるとある2人が仲が悪く口も聞いたことも無いみたい。

 

それはなんで?話したことも無いのに仲が悪いってどういうこと?高校3年間一緒のクラスって、しんどくない?

 

と、勝手にそのクラスの学生の立場になって余計なお節介ながら、どうやったら仲良くなるかな?雰囲気変わるかな?とか考えながら日々生活していました。

 

自分だったらどうしよう?なんで仲悪いのかな。とか考えていると、自分も学生時代まさにそんな感じだったなと、昔の記憶がフラッシュバックしました。

 

同じ部活なのに、話をしない、試合の時とかも業務連絡だけの友人。

 

体育祭で、同じチームになりダンスを練習することになったけどグループだったから別に話さずに1ヶ月毎日練習。

 

人って性格はひとそれぞれ違うから、許せる範囲、認められる範囲、色々あってそれは家族でも親戚でも友人でも同僚でも変わらない。

年齢も関係ない。

3歳でも5歳でも謝れるし、高校生でも20歳でも30歳でも、70歳でも謝れる。

 

一番簡単な方法が実は弱さを見せる事。怖いけど。怖いのは、どう思われるか。今まで作ってきた自分という人間像が崩れるかもしれない。という本能なのかもしれない。

 

だから、僕は一番簡単な方法謝るという選択をこれからしていき、より良い人間関係を作っていけたらなぁと考えている。

 

謝られて、嫌な人いない。

謝られなくて、不快な思いをする人はいる。

 

本当に単純で明快な仕組みなのに。こんなことに気づけないのは、自分が無知だからだなぁ。知りたいことだけを知って、知りたくない情報を避けて生きてきたらこうなってしまった。で、それを気づかさせてくれたのが高校生。

 

僕は自分の学生にいつも感謝している。

【人生の素晴らしさ】【人生の美しさ】【人生の大切さ】とても抽象的で、実は言葉に表せないような概念だけど感じさせてもらっている。

 

教えているようで 教わっている。

 

教えてもらってお金までもらって、幸せまでもらえる。今の環境を与えてもらっている事を感謝しなければならない。

 

そして、中学高校の時の喧嘩したり人間関係あまり上手くいかなかった友達、ごめんなさい。

 

今このブログはきっと知らないだろうから、同窓会で 再会した時の僕の課題にしておこうと思う。

 

人生、やるべき事が できたら、楽しいな。

学生に課題、宿題出せ!と 毎日言ってるけどお前が一番出すの遅いよ!20年以上経ってるよ!って。

 

そんな話でした。

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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