Tinder■出会い系■how to、出会い方に綺麗も汚いもない。④

こんにちは。ホーリンです。Tinderブログ、もう少し続きます。後3回くらいかな?

前回までの続きはこちら

Tinderブログ ③

ティンダーブログ②

ティンダーブログ①

ケーススタディその3

タイのバンコクで出会った時所持金60円だった家なき子ちゃん。

ホーリンは、このEちゃんと出会った時、久々にぶっ飛んだ子に会ったかも!直感的にヤバイと思いました。

英語はほんの少し、日本語は片言でちょっとだけ、わかる状態で、会話を主語だけで成立させちゃう子でした。

「あなたー!」

1日100回は呼ばれました。ホーリンの名前を聞いたら、名前はちゃんと覚えているのに、いつもホーリンの事を「あなたー!!」

と、呼んでました。

あだ名をつけるならば、「あなた姉ちゃん」です。

確かまだ24歳くらいで、高校卒業して、美容院でアルバイトしているけど、少しカラオケバーという、日本人街タニヤにあるいかがわしいお店で働いていたことがあり日本語を少し覚えたと言っていました。

Eちゃんは、充電がいつも2%しかないipad(画面バキバキ)を持っていました。

ホーリンは、一生懸命コミュニケーションを取ろうと頑張りましたが、言葉も通じなければ、感情もあまり無く、何を考えているかわからない女の子でした。

ホーリンが、2日だけ一緒に過ごし、ホーリンがバンコクを離れて、北にあるチェンマイという街に行くから、お別れだよ。

と言っても、

「私、No money!あなた、お金、いっぱい!
私もチェンマイ、together」

と、英語と日本語のチャンポンで、チェンマイについて来ようとします。

ホーリンは当時 チェンマイの学校に行きたかったし、この子がついてきても仕方ないからお別れしようとしましたが、どうしても離れないので、お金が本当にないか確認したところ、所持金20バーツ。。。(60円くらい)

さすがにこれだけのお金じゃ家に帰ることもできない。

というか、よくこれだけの所持金で生きてきたな。

と、感心して、このまま路頭に迷わせるのがかわいそうになって、チェンマイまでは一緒に行ってあげることにしました。

ホーリンは、Eちゃんにチェンマイで仕事を探すこと。

を約束させたのですが、チェンマイについても、Eちゃんは仕事を探す気はありませんでした。

一緒にゾウさんを見に行ったり楽しかったですが、いつまでもこの関係じゃダメだと思い、バンコクの片道キップ代を買ってあげて電車でバンコクに帰らせました。

出会ってたった1週間くらいだけでしたが、かなり印象深い女性でした。

女性の逞しさを感じると共に、言語無しでのコミュニケーションの難しさ、タイ人女性との交流の仕方を新たに勉強させてもらい、ホーリンに至らない思いやりの足りなさを実感しました。

バンコクに再び戻った時、たまたまカオサン通りという外国人旅行者が多い地区を歩いていたら再びその子を発見したのですが、再び所持金0で、

「50バーツ(150円)貸してくれ!!」

と、めちゃくちゃせがまれましたが丁重にお断りしました。

ホーリンは普段なかなか出会うことのない女性と出会えてラッキーだったと思いました。

この頃からTinderってすごいサイトだと認識が変わってきました。

もう少し続く。

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Tinder■出会い系■取り扱い説明書ではなくただの体験談③

こんにちは。ホーリンです。

前回の記事が長くなったので、今回はそのブログの続きを書かせてもらいます。

前回までの続きはこちら

ティンダーブログ②

ティンダーブログ①

ケーススタディその2

バンコクでOLをやっている、日本語ペラペラのニューハーフHちゃん。

ホーリンは、この子は、実は代打で参加したのですが、
一緒にTinderを始めた友達が、ニューハーフと知りながら、メッセージをやりとりしていました。

そして、いざ会おうってなった時になぜか怖気づいて、行きたくないと言って、仮病を使いその子がガッカリしてるところに、じゃあホーリンが行こうか?

となって、ホーリンがデートをする事になりました。

その子はタイ人のニューハーフの女の子(元男の子)

日本語を何年も勉強し、大阪で留学もして、本当に日本語ペラペラ。

日本人大好きで、日本語もっと話したい、日本人の彼氏欲しい。

というのが、Tinderを始めたきっかけでした。

日本人かと間違えるくらい日本語が上手で、間の取り方、相槌の打ち方まで完コピをしたかのように上手で難しい日本語を話さないようにしようとか、全く意識せずに話すことができました。

バンコクのSiamという日本でいう渋谷的な若者の街でデートをしましたが、

ホーリンが、「休みの日は何してるの?」

と聞くと、Hちゃんは、「家でゴロゴロしたり、DVD見てマッタリしてるかなー。」

って、日本語うますぎ!

スラングも普通に使いこなし、初対面で日本語レベル高しと実感!笑

タイ人の今1番の人気洋食は、日本食という事で、日本食とタイ料理のミックスのレストランに行き、あんみつ的な甘いスイーツを食べました。

Hちゃんは日本企業で働いており、通訳やガイドをしているみたいですが、日本人の彼氏がなかなかできない。

できてもすぐにフラれる。

と、嘆いていました。ですが、元カレの写真を見せてもらったらなかなかのイケメンで、とても幸せそうでした。

Hちゃんは、あまりTinderをしたことが無いらしく、緊張してて、ホーリンも緊張しやすいからお互いドキドキして、お互いの胸の音を聞きあったけど、鼓動がバクバク言ってて、すごくアドレナリンが出ていたのを覚えています。

結局、Hちゃんは次の日仕事だったので終電でお家に帰って行きました。

とても忙しく働いているようで、次来月会おうね。と言い合いましたが、連絡が疎遠になりその次回が来ることなく終わってしまいました。

今回Hちゃんと知り合って、ニューハーフの女の子の恋愛事情や、難しさ、性差別や性に対する強い思いを学ばせてもらいました。

友達同士で本音で語り合えるってすごく幸せなことだと思いました。

ホーリンは、この子の事を陰ながら応援していきたいなぁ。いつか結婚して日本にやってこれて夢を叶えて欲しいと思いました。

Tinder ブログ続く。

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■Tinder■という出会い系による迷走と試行錯誤②

こんにちは。ホーリンです。

今日は前回のブログの続きです。

前回のブログはこちら

ティンダーブログ①

ホーリンは、Tinderを通して自分を見つめ直したり、向き合ってみたり、反省したり、とにかく様々な経験をしながら、日々を送っております。

ホーリンは、初めてTinderを紹介してもらったのは、タイでした。友人に勧められて、面白そうだからやってみようということで始めました。

ホーリンは、出会い系というものに、ネガティヴなイメージがあったため、気休め程度に使おうと思いました。

初めて数日間、やり方が分からず、ホーリンのFacebookは、以前メキシコでイタズラにあい、好きな対象が男性になっており、男性ばかりがポップアップされてきました。

そこで、ネットに詳しい友達に治してもらい、再度気に入った女の子にlikeを押していると何人かの女の子とMatchしました。

タイ人の女の子はみんな可愛くみんなlikeしたいところを厳選して、ホーリンと趣味が合う子、元気そうな子を選んでいきました。

この基準が意外と大事で、せっかくMatchしても、会話が続かなかったりします。

そんなこんなで、日本の文化が好き、日本語を勉強している。日本人のお友達が欲しいという人たちと仲良くなり、チャットを楽しんでいて何人かと実際に会いました。

その出会った何人かを紹介します。

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ケーススタディその1

1人目、ラオス人のお姉さんK子ちゃん。

この方はタイのバンコクで働いているラオスのスーパーお金持ちの娘さんでした。

35歳?で独身でとても大きなタワーマンションの上の方の階に住んでおり、本人は芸術家で、様々な革製品を趣味がてら作っておりました。

彼女とは、バーで会い、一緒にどでかいビールを飲み、ご馳走してもらいました。

彼女は、ホーリンをlikeした理由は日本に対してとても良い印象があり、日本人の事を知りたいという事で、たくさん日本の事を聞いてきました。

話は尽きず、彼女の家で飲み直して、彼女の好きなハウステクノという音楽を紹介してもらいました。

一緒に音楽を聴きながらお酒を飲み、ホーリンは普段はお酒を飲む事はないのに、人見知りだから緊張して、それを紛らわすかのように気が付いたらたくさんお酒を飲んでいました。

次の日も一緒にK子ちゃんの住むマンションについているプールで泳いだり、仕事の話、芸術家の人生などたくさん語って教えてもらって、夜に現地人しかいないローカル夜市に連れて行ってもらい、一緒に晩御飯を食べました。

都合2泊3日彼女のお家にお世話になり、タイのバンコクにあると知らなかったデリバリーサービスでタイ料理とラオス料理をご馳走になったり、タイ語を教えてもらったり、日本語を教えたり、2日間とても幸せでした。

そして仲良くなり、帰りがけ、「次会うときは、バンコクの有名な美術館に連れて行くから楽しみにしててね」と、言っておきながら、最後別れるときに振り返らずに去って行きました。

その後は、メッセージを送っても何の連絡もなし。

ホーリンは、何か悪い事をしたかな?とか、彼女は事故にでもあったのではないか?と心配をしましたが、そんな事はなく、ただもう会いたくなかったのか2ヶ月後に簡単な返信は来ましたが、もう会う事はありませんでした。

ホーリン的には、自己分析して、彼女は芸術家で考えはとてもユニークでホーリンと真反対の人目を気にしない。あっけらかんとした性格で、ラオスの国に対する不信、ラオスの社会主義に対する不満など、ラオスに生まれた事にとても不幸に感じながら生きている事をとても強く感じました。

時々人の話を聞かなかったり、1人で考え始めたら止まらなくなったり不思議なところはありましたが、程よい距離感がありそういった所は気兼ねしなくてすんでよかったです。

残念ながらホーリンとはその後出会う事はなかったですが、初めてできたラオス人の友達ということで、嬉しい気持ち半分。不安にもなり、ホーリンの何が悪かったのか、何が足りなかったのか深く考えさせられる良いきっかけとなりました。

意外と長くなってしまったので、続く^_^

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